今週のお題「お父さん」
お父さん・・
今は亡きお父さん
いつまでも
心に生き続けるお父さん
目次
お父さん
私にとって父は
目標とする人
その背中を見て
必死で追いかけてきた
まだまだ
追いつけそうにはない
父
私の父は職人で
ひとり親方として
仕事を請け負いながら
365日休みなく働いていた
朝早く出かけ
夜は食事をしたらすぐに床に就く
その為
朝起きた時にはもう父はいなく
夜も食事を共にできなければ
会うことはない
それが日常だった
お盆やお正月は
母が無理やり旅行の予定を入れ
休ませる
そうでもしないと
仕事へ行ってしまう為・・・(;^_^A
とにかく仕事が大好きで
それが父の生きがいだった
死ぬまで働く
と、
生涯現役を公言していた父
今思うと
家族の為に少しでも・・・
という思いが強かったのかもしれない
こんな父なので
あまり触れ合う機会はなく
甘えたり、抱っこしてもらったり
そんな記憶はほとんどない
育児や家庭のことは
全て母任せで
お湯の沸かし方さえ分からないほど
しかしなぜだろう
父のことは大好きだった
そして
しっかり愛情も感じていた
仕事
仕事に対する姿勢は
本当に尊敬すべきものだった
朝も早くから
めいっぱい働く
他の職人は
喫茶店に行って休憩をする時にも
その時間さえ勿体ないと
珈琲片手に仕事を進める
たまには持っていったお弁当を
食べることさえ忘れて没頭していた
その為
人の何倍も仕事をこなす
工務店の社長は
ある時こんなことを言っていた
同じ仕事を同じ時間でやってもらおうと思ったら
3人は頼まないと無理
この言葉は嬉しかった
それだけ父の仕事ぶりは認められ
そして頼りにされている
だからこそ
仕事の依頼が途切れることなく来る
合格点
以前にも書いたが
父の仕事の考えは
100点じゃなくていい
合格点が取れれば
というものだった
その時の記事はこちら↓
もちろん
完璧な出来栄えで
文句のつけどころのない
100%の仕事をすることが一番だが
それには限界がある
それだけ時間と労力をかけていては
割に合わないことも多い
だとしたら
要領よくこなしていく
合格点を取れるくらいの力で
数をこなしていく
これって
商売人としては
大切なことだなと
自分も自営業を始めてから
改めて感じている
理想を追い求めれば
キリがない
もちろんそれだけのことをできるキャパがあればいいが
現実、1人で出来ることには限界がある
その中でいかに利益をあげながら
満足のいくものを提供していけるか
そのラインを見極めることの大切さ
そんな父の言葉から
学んだ
父の死
生涯現役を誓っていた父
生きていたら今でも働いていただろう
そんな父が病に倒れた
それは本当に突然のことで
受け止めるにはあまりにも残酷だった
いつものように仕事から帰り
夕飯を食べる父
顔色がおかしい
風邪かな・・・
いつもと違う様子に
普段病院へ行きたがらない父を
無理やりかかりつけの医者に連れて行った
父を見るや否や
すぐに入院の準備をして
大きな病院へ行くようにと言われた
これはただ事ではない
そしてその時告げられた病気
癌
余命半年
ほとんど病気をすることもなく
休みなくこれだけの仕事をこなしてきた
皆に
スーパーマンだねって言われるくらい
倒れそうもないくらい健康だった
丈夫な体に産んでもらって良かったねって
いつも祖母に感謝していた家族
そんな中突きつけられた現実
原因は
生活習慣でも
働きすぎでもない
早く見つけることは困難な癌だった
だから見つかった時は
もう手遅れだと
それでも
手術をすれば
1年半くらいは生きられると言われ
父は手術をすることを選択した
術後
その回復力はすさまじく
退院後はすぐに仕事に復帰した
そしてそんな病気を抱えているなんて嘘のように
今までと同じように働いた
まるでもう治ったかのように錯覚するほど
家族もこの幸せがこの先もずっと続くのでは・・・
と思うほどだった
しかし
やはり現実はそうはいかなかった
1年半が過ぎた頃
体調がおかしくなり
受診すると、すぐに入院するように言われた
しかし、お正月に旅行の予約がしてあった
もちろんそれはキャンセルするつもりだったが
医者に言われた
「行ってきてください」
と。
そしてそれが最後の家族旅行となった
仕事を全部片づけ
入院した父
そのまま家へ戻ることはなく
数か月後に旅立った
最後のころは
モルヒネの薬の作用で意識がもうろうとする中の戯言は
そこのタイルが・・・
もう少し右、右・・・
いつも現場で働いているものだった
最後まで働き続けた父
短いようで
とても濃かったこの1年半
父はこの間、きっと
残された母がこの後苦労しないように
少しでも残してあげられるようにと
必死で働いたのだろう
お別れへの心の準備が出来たと言えば
ありがたかったこの期間
私にとっては
かけがえのない時間となった
葬儀
父はそんなに人付き合いが上手くなく
職人肌で不愛想
だから
大きな葬式をしても
参列者も少ないだろうと思ったが
父の最後の花道
できる限りのことをしてあげたいと母は
予定していたより大きな会場でお願いした
そしてそれは正解だった
作業着のまま
次から次から訪れる仕事仲間
葬儀場は溢れるほどの弔問客で
いっぱいになった
そして口々に父の仕事ぶりを
懐かしく話してくれ
改めて父の仕事に対する姿勢を
誇らしく思った
これだけの人たちに
信頼され、認められていた
弔電の一つが
今でも忘れられない
「パンをかじりながら仕事をする姿が
今でも目に焼き付いています」
その光景が目に浮かび
涙が止まらなかった
私が知る父の姿
今でも思い出す
父のように
父が亡くなった時
弟はまだ学生で
下宿していた
私はいつの間にか大黒柱のような気持で
家を守らなければという使命感を背負うようになった
今まで
父を支え家庭を守ってきた
母にとっての日常は
早朝からお弁当を作り
すぐにお風呂に入れるように準備をして待つ
一日が父を中心に動いていた
その仕事がなくなったことで
虚無感と何とも言えない寂しさの中にいた母
しかし自由にもなった
もし今父が生きていたら
現役で働いていただろうから
その生活が続いていた
そうしたら今私は
ここ伊豆高原へ移住してカフェをやっている
何ていう現実はなかっただろう
幼稚園教諭として
いずれ結婚して
家庭に入り
子どもができ・・・
なんて生活をしていたのかな
自分が今の仕事に転職したのは
父から譲り受けた血が騒いだというのもある
会社に雇われてお給料をもらうのではなく
自分が頑張っただけ成果が出る
この自営業という仕事
自分でやらなければ
儲からない
そんな言葉をいつも父の口から聞いていた
やればやっただけ
そんなやりがいのある仕事がしたい
父と同じく
動いていないと死んでしまうような性質
働くことは嫌いじゃなかった
そんな私は
カフェを経営することとなり
必死に働いた
まるで父のように
2人分3人分働いた
そしてその姿を見た人は皆
こういった
まるでお父さんのようだね
働き方がそっくりだ
と
その言葉は
嬉しかった
少しだけど
父に近づけたようで
そして
誇らしかった
父の背中
父の背中は大きくて
そして偉大で遠い存在
今でもその背中を追いかけている
まだまだ追いつけそうにはない
時々
体調が悪かったり
心が折れそうになった時
すぐに弱い自分が顔を出す
そういう時思う
父はそんな時どうしていたんだろう・・・
きっと弱音なんて吐かず
与えられた仕事を全うしていただろう
ある時現場で
電動の丸鋸を使っている時
誤って足まで切ってしまった父
父は流れる血をビニールテープで
ぐるぐる巻きにして止血し
作業を続けた
本当はそのままやり終えたかった所
現場監督に止められすぐ病院へ
傷はかなり深いところまでいっていて
後数ミリのところで危険な状態だったという
しばらくの安静を強く言われたにも関わらず
次の日からいつも通り仕事に出かけた
普通の人なら休むであろう状況でも
仕事へ行く
そんなことは数えきれなかった
家でのんびりしている父の姿は
ほとんど記憶にない
そして今の私がまさしくそう
元々とてもマイナス思考で
弱音ばかり吐いていた私
しかしいつも間にか
母には、
父のようだと言われるようになった
いつも前向きな言葉を言ってくれるから
強く居られる
折れそうな時、本当に心が救われる
心がスーッとする
と
生前父は、泣き言をいう母に
口数は少ないが
スーッとする言葉をいつもかけてくれたという
その言葉は決してカッコいいものではなかったが
その時の母の心をしっかりと救い上げる
とても前向きな言葉だったという
いつしか私は
そんな父の役目を
知らず知らずのうちに担っていたのだ
自分でも思う
性格が変わったのではないか
昔の私を知る人なら
今の私を見ると驚くかもしれない
やっぱり父が乗り移っているのかな
だとしたらなんだか嬉しい
そしていつも守られている
そんな気がする
今まで多くの困難にぶつかった時
それなりに乗り越えてくることが出来た
今回は駄目かも・・・
そう思う時でも
奇跡的に無傷だったり
そんな時思う
父が守ってくれたと
そして
いつも思う
父が守ってくれているから
大丈夫だと
その気持ちはきっと
自分を強くし
どんなことをも乗り越える力を
知らず知らずのうちに
与えてくれているのだろう
母を託す
父が最後に入院していた時
私はお付き合いしている人がいた
その人は長男で
もし結婚したら
いずれは嫁に行くことになるだろう
そうなると父亡き後
母は一人になる
父は私が誰と交際していようが
それまで何も言うことはなかった
しかしその最後の入院の時
私はその時お付き合いしていた人と別れることになり
その旨を病院のベットに横たわる父に
伝えた
すると父は
何も言うことなく
静かに私の頭を
ぽんぽん
と二回撫でた
もしかしたら
生まれて初めてのことだったかもしれない
記憶の中で
父に撫でられたのは
それが最初で最後
あ~、
父はやっぱり母が一人になるかもしれないこと
心配していたんだ
そして私が下した選択を
父は嬉しかったんだ
それと同時に
父は私に母を託したんだ
その瞬間に
私の中には
そんな様々な思いが廻った
そして今でもその時の感触は忘れない
おわりに
父の生き様
父の娘であるということ
それは私にとっての誇り
出逢いがあれば別れもある
命あるものいつかは皆尽きる
それがいつなのかは
誰にも分からない
だからこそ
今の幸せがずっと続くわけではないということ
いつもどこかで思っていたい
そうすることで
大切なことを忘れずにいられる
いつかできるじゃなく
今思った時にやる
明日のことは誰にも分からない
今日笑顔でいられること
それは本当に素晴らしいこと
だからこそ
今やりたいことをやる
今会いたい人に会いに行く
今伝えていことを伝える
今愛する人を全力で愛する
今できること
父に恥じないよう
自分らしく
心を大切に
自分の人生最高だった
いつ死んでもそう思えるくらい
今を全力で生きる!!
最後までお読みいただきありがとうございました。
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