日頃当たり前だと
思っていること。
それは本来
当たり前のことではない。
時々思う。
生きていること。
朝起きてご飯を食べる。
仕事へ行き、同じ日常を過ごす。
お風呂に入り床に就く。
そしてまた朝が来る。
これって当たり前のことかもしれない
しかし
世の中には
食事が食べれない人もいる。
雨風しのげない人もいる。
働きたくても働けない人もいる。
生きたくても生きられない人もいる。
そう考えると
日頃
当たり前のように過ぎていく日常は
本当はすごく貴重なことで
感謝の気持ちを
忘れてはいけないことだと
思い知らされる。
そんなことを感じたエピソードを1つ。
幼稚園教諭としての自分
幼稚園に勤務していたころの話。
夏休みなど大型連休の後には
必ずこんな言葉がけをしていた。
『おやすみはどこへいったの?』
そして思い出の日記や絵画の宿題。
当たり前のように行っていた。
お誕生日にクリスマス。
必ずこんな言葉がけをしていた。
『どんなケーキたべたの?』
『プレゼントはなにをもらったの?』
そのやり取りの中で
特に違和感を感じることもなく
問題もなかった。
父の死をきっかけに
そんなある年
自分の父が病気で亡くなった。
その年の夏休みは
喪に服しどこにも出かけなかった。
その時気付いた。
私が今までやってきたことは
当たり前じゃなかったんだ。
私の家は父が自営業で休みなく働いていた。
その為普段は家族で出かけることはなかったが
盆正月などの大型連休は
必ず家族そろって旅行へ行った。
また、年中行事やイベントを大切にしていたので
誕生日やクリスマスにはケーキを食べ皆で祝い
ひな祭りにはお雛様を飾り
こどもの日にはこいのぼりが泳ぐ。
それが当たり前だった。
サンタの来ないクリスマス??
しかしこの年、
生まれて初めてと言っても過言ではない
何処へも行かない夏休みを過ごした。
そして分かった。
こういう過ごし方をしている家庭もあるのだと。
誕生日だからと言って
必ずケーキが食べれるわけではない。
クリスマスに
サンタさんが来ないお家だってある。
大型連休だからって
旅行にだって行かないお家もある。
色々な家庭の事情があり
色んな考え方
色々な習慣がある。
それなのに
当たり前のように
自分の生活スタイルに基づいた
考え方で生きていた。
その時
教育者として
様々な環境で育つ子どもたちに
自分の考えを押し付けてしまっているようで
情けなかった。
確かに、
『どこにもいかなかったよ』
『プレゼントもらってないよ』
と答える子もいた。
その場では特に深く考えることが
出来ていなかった。
今振り返っても
恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいになる。
それからは
言葉かけの仕方を変えた。
『どんなおやすみだった?』
『どんなふうにすごしたの?』
そんな風に
子どもからの言葉を引き出し
それに対して話を膨らませるようにした。
そんな出来事があり
一人ひとり
個人
ということをすごく意識するようになった。
そして
学校で学ぶことが全てじゃない。
教科書通りにやることが正しいわけではない。
そんなことを実感した。
それは時代とともに変化もしていく。
自分がそういう状況に置かれ
始めて気付くこと。
きっと今でも当然のように行っていることが
それは自分よがりの考え方
ということもたくさんあるだろう。
同じである必要はない。
自分が常識だと思っていることが
人から見たら非常識なことかもしれない。
だからこそ
自分の考えを押し付けるのではなく
聞く耳を持つ。
お互いがお互いのことを思い
歩み寄る。
それができれば
きっともっと世の中
過ごしやすくなるのにな。
そんなことを思う。
とはいうものの
自分は頑固で我が強い。
なかなか人の意見に耳を傾けることが出来ない。
そして、合わせるよりも
自分の道を行きたいタイプ。
人として
まだまだ課題は多いなと
これからの生き方について
改めて考えてみようと思う。
当たり前は
当たり前じゃない。
最後までお読みいただきありがとうございました。