記憶に残る「しごと」を教えてください。
そう聞かれて
思い返すと
どれも記憶に残るものと言っていい。
学生時代のアルバイト
就職した幼稚園での先生という仕事。
無職の時に派遣で行った工場での出来事。
そして今の仕事、カフェ経営。
そんな色々な仕事を
この機会に
振り返ってみよう。
目次
仕事
一つの仕事をずっとやり続ける人もいれば
たくさんの仕事を経験する人もいる。
どちらも一長一短あるだろう。
私は、大きくは1回の転職なので
そんなに経験が豊富なわけではない。
その中で記憶に残っていることを
綴っていこう。
塾でアルバイト
大学時代は、近くの塾で講師としてアルバイトをした。
そこの塾は個別指導だった為
マンツーマンだったり、少人数のクラスでの指導。
そこで気に入ってもらえたお家に家庭教師として
行かせてもらったこともあった。
小さい頃から幼稚園の先生になりたかったため
教えることは好きだった。
その為とても楽しく働くことが出来た。
そして大学卒業して
幼稚園に就職。
幼稚園教諭
夢にまで見た幼稚園の先生。
「絶対になる!」
そう決めていたので
進路は悩むことがなかった。
保育士・幼稚園教諭免許がとれる大学。
しかし、高校の先生は、
もっと上の大学を…と勧めた。
しかし、私が目指すものは高学歴ではない。
あくまでそこは信念を持ち
自分の進むべき道を見据えた。
そして希望の大学へ進学し
無事卒業。
採用試験は難関だった。
というのも、人気の園で高い倍率。
それでも
採用してもらい、俄然張り切っていた。
しかし、現実はやっぱり甘くはない。
憧れていたものとは大きく違い
本当に大変だった。
朝7時頃に出勤し、帰宅は夜の9時、10時。
自宅でもやりきれない仕事をこなしたり
本当に追われる日々だった。
それに加え
大人しくて引っ込み思案の私
先輩先生たちから
かなり厳しく指導された。
注意力が無く
忘れ物が多い。
その為、連絡ミスが度重なったり
分からないことを聞けず失敗したり。
( ¯−¯٥)
本当に未熟な自分だった。
先輩に呼び出されて
何時間もお説教。
人間としての存在まで否定されて
一緒に働きたくないとまで言われたことも。
自分なりに一生懸命頑張っていたのに
それを認めてもらえなかった
全否定されたことに
自信を失い、もう生きていけない・・・
というくらいまで落ち込んだ。
登園するのが嫌で
本当に苦痛の毎日だった。
しかしそれでも、担任を持ち
子どもたちと過ごす時間は
大変さもあるが、それ以上に得るものも多かった。
だからこそ乗り越えることが出来た。
1年、2年、と働くうちに
少しずつ認めてもらえ
最後は主任として指導する立場にまでなることが出来た。
あの時挫折していたら
今はないだろう。
あの時の辛さを考えると
何でも乗り越えていける
そう思える今がある。
そして、そんな先輩たち、
沢山の子どもたち、保護者の方々との出逢いは
今ではかけがえのない宝物となった。
その頃の経験は
今でも役に立つことが本当に多い。
幼稚園の先生、それは
小さなころから曲げなかった
憧れの職業だったが
引き際も結構あっさりと。
もともと、
結婚したら辞めないといけない園だった為
長くは働けなかった。
自分も、将来は専業主婦になる
という姿を想像していたので
そこは特に問題なく。
結局専業主婦というより
どちらかと言うと
キャリアウーマンタイプだったということに
この時はまだ気づいていなかった・・・。
( ̄▽ ̄*) ・・・ァハハ
そして、その頃すでにやり切った感があり
寿退社の予定はないが
次の道へ目を向け始めていた。
そして
幼稚園教諭から
カフェ経営への転職
カフェ経営
これは現在も進行中の仕事。
カフェをやろうと思ったのは
幼稚園教諭時代。
友達のママの喫茶店で
数回お手伝いをしたことがきっかけ。
それまで
ウェイトレスに憧れていたこともあり
やってみたいなと思っていた。
実際に働かせてもらい
その楽しさに惹かれていった。
人に喜びを提供する
そんなお仕事だなと
笑顔と笑顔を交わすことで
生まれる空気感が
何とも言えず好きだった。
そのお店のママは
業界でも有名な凄腕ママ。
その働きぶりに刺激を受け
魅力を感じた。
次やるとしたら
カフェをやりたい。
幼稚園教諭として
やり切った感を感じていたその頃
そろそろ今の生活に物足りなさを感じていた。
そして
そんな思いが芽生え
今に至った。
その時の経験がなければ
今は違う仕事をしていたかもしれない。
そこでお手伝いをしたのは
ほんの数日だが、今でもそのママのことは
自分の中で目標となっている。
自分がカフェを経営する道を選ぶ
大きなきっかけとなった
その時の経験は忘れることが出来ない。
そして賃貸でお店を初めて、その後
自分のお店を建て、始めるまでの間
しばらく無職の期間があった。
派遣のお仕事
無職の期間、ぶらぶらしていても
勿体ない。
しかし、本格的に働けるほどの時間的な余裕もない。
新店舗建設の為
動き回らないといけなかったので長期の仕事は無理。
コーヒーメーカーのつながりで
新しい喫茶店がオープンする時には
ヘルプで手伝いに行ったりもしていたため
予定もうまくたたなかった。
それでも
何かやろうと思い
派遣のお仕事に登録してみた。
その時働いたのは1日だけ。
それが一番印象に残っている。
それは工場でのお仕事。
カップ春雨を作る作業。
初めての経験に
朝、不安を胸に工場へ着くと
沢山の人がいて、慌ただしく動いていた。
どこへ行けばいいのか・・・
何をすればいいのか・・・
よく分からないが、声をかける隙もないほど
皆、足早に動き、
手慣れた感じで自分の持ち場へ分かれていく。
意を決して、やっと絞り出した声で
どうしたらよいか尋ね、
指示された通り
作業着に着替えて持ち場へ。
マスクに帽子、見えるのは目だけ。
誰が誰だか分からない中
ひたすら流れ作業。
流れてくるカップに蓋をする。
そしてお昼ご飯の時間。
慣れない環境の中
ご飯ものどを通らず
ただただ部屋の隅に一人でいた。
午後からも
また同じ作業。
時間はなかなか過ぎない。
工場の機械音が
ただただ頭の中を占領し
たくさん人がいるのに
その中に一人閉じ込められたかのような
何とも言えない孤独感にさいなまれた。
( ´ : ω : ` )
大きな音がしているのに
まるで無の空間にいるような
その時のことは今でも鮮明によみがえる。
とにかく早くここから解放されたい。
やっと終業時間。
なぜだか同じ事務所に向かう人を
自分の車に乗せて行くことに。
初めて会った知らない人。
名前も知らなければ
言葉を交わしたこともない。
重い空気の中車を走らせ
その日の仕事は終わった。
その1日で限界を感じ
結局最初で最後のお仕事となった。
人見知りで、集団が苦手。
大人数の中に入ると
言葉が出ない。
そして自分の中に閉じこもる。
そんな私に派遣のお仕事はやはり厳しかった。
そんな自分だから
工場でのこの仕事が苦手だったという訳ではなく
この環境に馴染むことが出来ない体質だったのだろう。
しかし、
色んなお仕事がある。
それは体験しなければ分からなかった。
工場でのお仕事を体験することで 分かった。
一つのものを作るのにも
沢山の工程があって
沢山の人が関わっている。
今まで何気なく食べていたカップ春雨。
見る目が変わった出来事だった。
そしてもう一つ。
やはり自分は人と関わる仕事がしたい。
会話を交わし
笑顔を交わし
動き回る。
じっと黙って働くことが
自分にとってはとても苦痛だった。
閉鎖された空間に身を置くことが
自分を追い詰め、見失う
あの感覚は今でも忘れられない。
やはり自分には向いていない。
そのことを改めて実感できた
いい経験だった。
長い人生の中
たった一日のお仕事。
たった1日の経験。
それがここまで記憶に残り
自分について改めて知るきっかけになるとは
思わなかった。
そして同時に
何でも経験してみることの大切さを
実感した。
おわりに
私の経験してきた仕事など
大したことではない。
しかし人それぞれ
向き不向きがあり
それは実際にやってみることで分かる
ということも多い。
自分でも気づかなかった才能に目覚めたり
新たな楽しさを発見したり
今いる世界の中では
見ることのできなかった景色を
見ることが出来るのは間違いない。
失敗は怖い。
新しい環境に身を置くことも。
しかし何もせず小さな世界にいることのほうが
本当はもっと怖いことなのかもしれない。
早くに経験しておけば
その後また違う道はどんどん広がる。
だからこれからも
まだまだ新しいことに挑戦していきたい。
自分には
何年後か先の自分の姿を想像することが出来ない。
それは、今の生活を続けているとは限らないから。
ここで終わりとは思っていない。
まだまだ未知の世界へ踏み込む準備をしている段階。
そうやって生きていると
単調な日々が
とても充実してくる。
とにかくチャンスがあるなら
たくさんの仕事を経験してみる。
興味があるなら
飛び込んでみる。
幾つになっても
そんな冒険心は忘れたくないなと
自分の人生を振り返り
思うのだった。
これが私の
記憶に残る「仕事の思い出」。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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